くま雑記帳
ここには気が付いたことを書き留めていこうとおもっていますが、
ひょっとしたらボヤキばっかりかもしれません。
まうご犬からよく「テレビと口論してる」といわれます
気分が悪くなりそうと感じたら速やかに読むのを中止して
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シンボルマーク(07/04,2004)

下ネタ卒業?

ここのところ(といっても半年も前だが)悪ノリし過ぎで(やんわりと)お叱りをいただいたりしたので、今回はちょっとだけまじめになっちゃったよん。(←反省の色なし)

近鉄・オリックス球団合併問題

昨今、大阪近鉄とオリックスブルーウェーブの合併問題が各方面で取り上げられている。
相変わらずサポーター不在の議論がオーナー会議や連盟で繰り返されているようだ。
両球団のファンの方やプロ野球が大好きな方には申し訳ないが、くま的には、合併や1リーグ化の問題はある一点を除いてさほど気にはならないのだ。 …では、その一点とは
 
近鉄バッファローズのシンボルマークだ。
 
ご存じの方も多いと思うが、あのマークは故岡本太郎大先生様がお創りになった近年希な完璧なデザインなのだ。 もはや1企業の所有物と言うよりは人類全体の財産だと言いたい。 あそこまで良くできたマークが、世の中から消えてしまうなんてやっぱり考えらない。
 
もしバッファローズがダメならタローズでもバイキングスでもクワガタズでもなんでも、こじつけでいいからなんとか残すことを考えて欲しいな。
幸いにも今のところオリックスバッファローズという名称案が濃厚なのでほっと胸をなで下ろしているのだが、まだまだ油断はできない。 関係者の皆様、あのマークの良さを価値を、そして公共性をもう一度認識していただき最良の結論に導いていただきたい。

シンボルマークの宿命

シンボルマークとは文字通り、本体を象徴するモノであり、様々な感情を伴って人々に真っ先に記憶されるモノだ。 本体無きシンボルというのは本来無意味なのだがグラフィックデザインの視点から言うと、シンボル単体でも出来不出来の評価はできてしまう。
 
この話のついでに日ごろ思ってる本体とシンボルのこうしたジレンマの例をもう一つ挙げたい。
それは「日の丸」 …そう日本の国旗だ。
まずはグラフィックデザインの視点からのみ述べると、数ある世界中の国旗の中で「日の丸」ほどシンプルで完璧なモノは存在しない。 国旗のデザインは早い者勝ち、いち早く名乗りを上げたものが手に入れることができるのだが、世界はよくぞこのシンプルなデザインを放って置いたものだと感心させられる。
また本体(日本国)との関連も太陽を表すという点で整合性バッチリ。

やってしまったこと

そして問題は誰もが知るとおり、過去にこの国が「日の丸」を旗印に暴走したことだ。
烈大な迷惑を被った国の人々の目には、憎むべき日本人とその軍隊のイメージが今でも「日の丸」に刷り込まれていることは間違いない。
失われた信頼、つもり積もった憎悪を回復するにはその10倍、いや100倍もの努力をしなければならない。 それが大変だから過去の失態のイメージをマークに負わせて葬り去り、シンボル一新という選択肢に流れる者が多いのだ。 銀行の再編などはまさにこの典型的な例だと思う。

取り返し…とかじゃなくて

しかし、マークを変えたところで事実を塗り変えることはできない。 グラフィックデザインの観点から論ずるのは本末転倒のようだが、自己同一性という意味ではあながち間違ったアプローチではないかも知れない。 くまは右寄り思想ではないが「日の丸」のデザインは貴重であると思っているし、これまでの行いも含めて日本人は「日の丸」から逃れられないとも思っている。(もし日本人に慎ましい気持ちがあるとすればだ)
 
今後100年、いや恒久的に我々は世界に対して「まともな事」をしましょ。
相手を尊重し強欲や打算に走らず、同盟国の脅しにも負けずに…。
果たしてそんなことができるのか? 無理かもしれへんけど各分野で働く1人ひとりが少しでもそんな気持ちで行動ができれば、ちょっとだけましになるかも知れない。
 
いつの日か負い目無く、普通にこのマークを誇れる日が来ることを願う井の中のくまやすであった。


カモノハシ(01/07,2004)

周囲の反対をよそに

ごめんなさい。 …今回は先に謝っておくことにする。
なぜかというとまあ、下ネタに近いのである。 しかも画像がないと判らないというか意味がない話になってしまう。 前回もあまり上品な話ではなかったが、今回はもっと退いてしまうかもしれないので、退きそうな方は下の赤いボタンを押すべし〜。
下線の引かれたリンク文字をクリックすると画像が表示されてしまうので気をつけて。

身近にいる不思議生物

いつも見慣れているはずの身体の一部が、見方を変えると滑稽な生き物に見えてしまった経験はないだろうか? くまやすがまだかなり小さな幼ぐまだったころの話。 大きな鏡で独り遊びをしていたときに足の上に鏡を立てて見た。 上からのぞき込んだらそこには怪生物がいた。 なんか貼り付いて来られそうで、…しかも足の指を動かすともぞもぞ動いて実にキモチワルイ。 怖いもの見たさで繰り返し何度もその生物を「出現」させていたのをおぼえている。

怪生物近影

あれから何十年も怪生物を出現させていなかったのだが、この度久しぶりに召還してみた。 当然といえば当然のことだが彼も私とともに成長しており、現れた姿はしわ深くカサカサ、そして毛まで… 以前のみずみずしい姿はどこへやらといった感じだ。 そのままではとても公開できる状態ではないので、最新のデジタル画像処理技術?を用いてある程度見やすくしてみた。 だが、モノがモノだけに閲覧は個人の意志と責任のもとにお願いしたい。 できあがった画像はこんな感じ。

カモノハシ捕獲

下ネタついでというのもアレなんだが、気になっていたことがもう一つある。 常日頃足の親指がカモノハシに似ているような気がしていたのだが、身体がカタイくまやすは自分ではなかなかその姿を確かめられずにいた。 この機会に一度はっきりさせておきたいということで、撮影に踏み切ることにした。

 撮影された画像を見て確かにカモノハシであるとの確信に到ったのだが、これまた公開するにはグロい絵姿をしている。 最も問題なのが体毛で、コイツは数が少ないにもかかわらず太くて自分勝手に生えている。 怪生物の時はそれをデジタル消去したが、カモノハシではそれがキャラクタの一部となっており消す訳にもいかない。 ここまで書いて画像を載せないのも主義に反するので一応載せておくことにする。 あくまでも人の、いやくまの足の画像だ。 よって少しでも不快な思いをしたくない方は絶対にクリックしないで欲しい。 それでも見る方は大人の意志と責任のもとでどうぞ。 →こちら

いやいや考えようによってはとても身近なところにペットはいるものだ。 動物が飼えない環境にお住まいのみなさん、自分だけのペットを見つけてみてはいかがかな?

Nature calls me ! (04/02.2003)

No.2が問題

ご存じの方も多いと思うが、"Nature calls me"とは「トイレに行きたい」という意味の遠回しな言い方。 小・大をそれぞれNo.1、No.2ということもあるらしい。 今回問題となるのはNo.2の方だ。 No.1と違ってNo.2は予告無しに訪れることが多い。 特にある条件下で発動する場合は結構やっかいだ。 最も代表的なのが「書店にはいると便意を催す」というもの。 この謎を解明するために様々な説がある--インクや紙のにおい説(印刷屋はどうなる!)、10分以上の立ち姿勢説(お巡りさんはどうなる!)、狭くて静かな空間ストレス説(独房はどうなる!)、多くの書籍から選びだすプレッシャ説(本屋さんはどうなる…あれ?) …何れにしても決定的なものはないように思われる。

本屋さんに限ったことではない

最近ではこの現象を利用した自然分便…とは言わんか…便秘解消法まであるらしい。(どうやって、便意が逃げないうちに家へ帰るかが課題だとか) 実際には本屋だけでなく、人によっては様々なところでこれに似た現象が起こっている。 くまの知人のある女性は、ファンシーショップに入って、かわいいものを見つけた途端にやってくるそうだ。 
くまやすはこの現象の達人である。 …その理由は地図を見るとほぼ100%の確率で発動するからだ! いや、地図を思い浮かべるだけでもイケる。 (故に便秘知らずであるということが言いたいのではない) このことから件の現象は多分に内面的なファクターに起因していることが推測できる。

謎は解けるか?

さて地図で発動するには条件がある。 地図を見るといっても、必要に駆られて業務的に見ているときは何ともないが、ひとたび地図に感情を投入してしまったらひとたまりもない。 感情を投入するとは、地図の中に自分が入り込んで旅をしたり、実際の風景を思い浮かべたりすることで、地図が無くても他人に道順を説明するだけでもよい。

その時どんな感じがするかというと、この上なく懐かしいというか、ちょっぴり情けない感じというか、親しみに満ちているといった類のものだ。 果たして発動時のこの感覚が謎解明へのヒントとなり得るかちょっと自身はないが、くまはこう宣言したい。

ある種の人はイメージが泳ぐと便意を催す

…まったくつかみ所の無い説ではあるが、雑記を書きながらムズムズしているくまの身体が全てを物語っている。

えび満月 (03/22.2003)

一口サイズの小宇宙

数あるスタンダード袋菓子の中でえび満月ほど奥深く美しいものはない。 それは「えび」、「のり」、「生地」が織りなす形式美である。 えびのかすれ、のりの濃淡、そして生地の余白、 …この限られた構成要素がひとつの円の中で生き生きと描かれ、しかも同じものはひとつとして無い。 人工の菓子のはずなのに、人の作為のおよばないところで描き出される哲学的な表情。 それは水墨画のようでもあり、まさに一片の小宇宙と言ってしまっても過言では無いだろう。

くまがまだ幼い頃、高度成長期で誰もが今より質素であった頃、くま家ではビールのおつまみといえば「スルメ」、「柿の種」、そして「えび満月」であった。 その後生活の向上とともに、「とよすあられ(ハイサラダ)」や「かっぱえびせん」などのニューフェイス袋菓子に押され、えび満月は次第に採用機会を減らしていった。

さて、ここで美しい!と断言したからには最も美しいえび満月の画像を掲載すべきでだが、 かなりの数を試食したにもかかわらず、どうしたわけか典型的なえび満月に出会えていない。 ひとつひとつの個体は味わい深いものが多いが、いざ全てのえび満月を代表する一枚となると、どれもこれもその大任を負える器では無いように思うのだ。 「美人」とされる顔を目、鼻、口など要素別に切り分けて調べたところ、全てが平均的であったという話しを思い出したりもした。

理想のえび満月とはどのような法則性の元にあるのかは今後の研究課題としたい。なので「THE・えび満月」な画像は投稿(誰が?)に委ねるとして、ひとまず小宇宙の数々を味わっていただこう。

えび満月GALLERY


信貴山縁起

天女降臨

彼岸に思う

弥陀来迎

山椒魚は悲しんだ

お隠れあそばし

画竜点睛

受胎告知
えっと(汗)文才の無さまるだし。 ↓はちょっと大げさなものたち

東洲斎写楽

風神雷神

母艦出現

とびだすえび満月

えび満月美崩壊への憂い

ところがである、近年になってえび満月美は着実に失われつつあるのだ!
原因はデフレによるコスト切りつめと有明海の海苔の不漁によるもの。 まず海老が粉のように小さくなってしまった。 そして海苔の色が悪くなり、何やらごみのようになってしまった。  ↓は100円菓子として売られているえび満月相当品だ

まったくため息ものである。 このようなものを作る業者に良心はないのか?
美を意識して仕事が出来ないヤツは一流にはなれないよ。
…くまやすはここに「えせえび満月」不買運動を提唱する。 健全で正しいえび満月を愛でる権利を守るために。

是非是非ご協力を〜 (…ってなにするの?)

おまけ:世界初「えび満月動画」

 


2003.05.04追記
kuro様よりえせえび満月の調査報告をご投稿いただいたのを記念して
えび満月資料室をオープンしました。

 


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